1954(昭29)年6月1日:オートレース競走法の改正のより施行者は都道府県と五大都市に限られていた施行法が
所在市町村まで拡張された
1955(昭30)年11月:飯塚市はオートレースの開催意向を表明し、飯塚市議会でオートレース場の建設を議決した
その建設地は第1候補地の菰田地区に決定を見たが、地元住民に反対された為
(炭鉱労組の熾烈極めた反対運動が起きた)
その為、設置場所を鯰田地区に変更して決定した
しかしここで新たなる問題が発生、建設地を変更したものの当初計画の周長800mにて推進しようとしたが
一部が農地にかかる事が判明し、敷地を縮小せざるを得なかった
従って走路は周長600mの2級走路として諸施設も設計の練り直しを行った
さらに工事進行中に降雨や予想外の岩山にぶつかったり
反対運動の赤旗やむしろ旗を立て座り込みをした炭鉱労組が工事を大幅に遅らせた
1957(昭32)年2月17日:困難を乗り越え九州で初のオートレース場として飯塚オートが誕生した
ダート:600m、幅員:28m、曲率半径:45m(2級走路)
(施行者・土地建物ともに飯塚市で所有管理)
1965(昭40)年4月:通産省よりオートレースはダートコース使用不可の省令が発令
1967(昭42)年10月 6日: 舗装化された新コース(現在地)に移転しての開催となる
福岡県飯塚市大字鯰田147
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